マボロシのピクニック計画 [因縁な話]
ベルリン [RADIO]
求めない与える [RADIO]
ガイコクジンなんだよね、
少年よ大志を抱け・・
おのれの利己心のみを望む大志であってはならない。
名声という浮ついた、つかの間のものを求める大志であったはならない。
人間としてあるべきすべてのものを求める大志を抱きたまえ。
英文
“Boys be ambitious !
Be ambitious not for money or selfish
aggrandizement ,
not for that evanescent thing which men call fame.
Be anbitious for the attainment of all that a man ought to be .”
RADIOを通して剛さんの彼の口から告げられる言葉はほんの数分でしかない、
人生の中の数分を「使う」ことで与えられのだ。
それが堂本剛の役目なのだと思えた。
与えられる位置にいる。
聞いてるリスナーは考えさせられる
百年も前に頂いた(与えてもらった)恩恵は、恩返ししなければならない。
「与える」を「使う」に置き換えれば納得がいった。
自分の時間を使い、気持ちを使い、行動しなければならない・・と。
「与える」というというよりは自分には「使う」というほうが近い。
時間は過ぎ、使われていく。
時間は命の証、使って下さい私の時間となる。
東のRADIO
「生きるということ、私の存在には意味があるのだろうか?」
リスナーの問いかけだった。
誰もが通る「無常観」に耐えられずメールというカタチでSOSを送るリスナーだった。
メールの主の年齢は不明だがリスナーの環境が学び舎であり、会社であり、家庭という
ごく限られた範囲と学ぶ知識が学業とほんの社会の一翼なのであらば
その限られた中で何を教えられ何を学び取るかで「自分の存在=意味」見えてくる。
そのベクトルが何に向けられているかだと思う。
そしてRADIOからの答えも「与える」だった。
学び考えて成長することで周囲に与える
意味を求めず、与え続ける
結果に救い、救済に繋がる
理想は与え合い成長する
そして。。消えていく
深く突き詰め自分を追い込み苦しむのではなく
今できること日々学び、自分らしく、周囲に感謝する
そして与える
生きるということは
一瞬一瞬を何に使うか・・
何にどう、時間を使うか、命を使うか。
成長の課程のつどごとに「与える」は姿を心を変えて現れる。
それをどう「使う」かで「与える」はその先にあるような気がした。
行動範囲が広域となり視野が広がると
NIPPONから世界へ出たくなる。
世界に出るとNIPPONが愛しくなる。
時間の命の使い方は誰でも選べるし決められる。
大志とは将来への遠大な希望、大望のことで、夢とは違う。
ベストオブベスト [堂本剛]
新しい価値をつけなければならないのだと思う。
多くの人の目に触れるから、
会社都合で発売するのであればNGです。
どうなりたいのか
どうやればいいのか
どうあればいいのか
誰も考えない、誰もやってない、誰も真似できない、
ベストアルバムはその価格をはるか上回るもので提供しなければ
意味がない。
出来上がったアルバムの作品がそのものが語りだす秀逸なもの。
新しい価値です。
ベストLPアルバムが必要な時代もあった。
全楽曲を持つコアなファンは勿論、
まったく堂本剛を知らない人も
現在の堂本剛を知らない人も
現在31歳のフィルターを通し、
会社都合、思惑を外した作品、
本人が歌いなおしたい
カバーよりカバーしてほしい。 [堂本剛]
カバーアルバムというトレンド
人が出すから自分も出す、じゃやるせない。
拓郎の「ファイト!」
この唄を聞くと生半可な覚悟じゃ歌っちゃいけないと思う。
拓郎の唄う姿に対して感想コメント寄せられていた中に
あなたの歌に感化された長渕剛さんが
いるように、第二・第三の長渕剛さん的
若者の登場を期待するとともに、たくろう
さんの元気をお祈りします。ありがとう
というのを見つけた。
歌唱力でそれらしく合格点はいくアーティストは山ほどいる。
でも本気で他人の唄を「自分のモノにしきれるか・・・」
そうなると「追いかける若者」いない。
拓郎のこの唄を聞くとそう思う。
「カバー」って楽曲提供者自身がジェラシーを感じるくらい
本人のものにならなければ出しちゃいけないと思う。
拓郎の弾き語りを聞くとそう思う。
堂本剛が追いかける若者に、もっとも近い位置にいるだけに
今ではないと
拓郎の優しさと現在の病と闘う彼を考えるとそう思う。
今はまだ諦めという鎖を身をよじり外そうとしてる
小さな魚たちなのです。若者は。
歌詞のなかの女のコの心境は
お母様の願いで「高校だけは卒業して・・」に従いはしたが
美術学校進学の希望を捨てた本人の悔しさとシンクロする。
理不尽に声もあげれず、逃げてしまった10代に
「 女・子どもは引っ込んでろ」の世界を舐め尽くしたのであるなら
20年後には「ファイト」が唄える日がきっとくる。
この国の音楽は70年代で止まっている。
あの時代に魂を掴む唄が多くあるのを見てもそう思う。
流れを変えるのにはやはり「東京」は不向きなのか
北海道と、沖縄に魂を掴む唄は住んでいる。
西のRADIOでポロリとこぼれた
「僕の唄をカバーしてくれる人いないかな?」
拓郎、みゆきさんが唄う「堂本剛」の唄を聴いてみたいと思う自分でした。
辿りつくところは魂のメッセージ。
それが無いのなら聴くのは辛いのです。
墜落した花びらに埋め尽くされたピンクの山
幹にまで咲き出す瑞々しい花ぶさ
そこから発する言の葉を唄を、
他のアーティストたちはどんなふうに
表現するのだろか。
奈良にゆかりのあるアーティスト。 [平城宮跡LIVE]
平城宮跡第一次大極殿「大極殿音絵巻」が発表された。
宮内庁式部小職楽部
東京スカパラダイスオーケストラ
西本智美プロデュースライブ
谷村新司
スターダスト・レビュー
葉加瀬太郎
10月のオフシャルな音絵巻の日程は埋まっていた。
伝統芸能系、ポップス系、クラッシック系とある。
ファンクが無い。
何でだぁ
別枠なのか・・・・・
企画段階で「奈良出身、奈良にゆかりのあるアーティスト」というコンセプトは何処へ。