そうか・・・地球という帰る場所 [音楽]
辿り着いたんだ
その詞から受け取る
その星,火星は不毛の星
マイナス70℃の夜、灼熱の昼を行き来し
猛烈な砂塵が吹き荒れる星
水もなく緑もなく空気もない
夢話に希望は見えない
よそにある家族はすべての人には無い
限りない孤独な 今
地球がひとつの家族なら
命と愛
その為に捧げることができる
まわりを照らす
光になれ!
そうか・・・そういうことか。
GINZAにて予約完了
このシングルリリースを待っていた。
初めて。。。買うなう。
薬師寺LIVE DVDの楽しみ方。 [音楽]
DVD 薬師寺LIVE堂本剛の鑑賞法
365日目だよ天国のベィベー! [音楽]
MステSなMドラマ生のサプライズ [音楽]
拓郎、元気です・・・・か? [音楽]
2001年2月28日(水) 21:00~22:00ネット配信
この曲を初めて聴いたとき大泣きした。
その後「ありがとう」はCDの世界へ閉じこもり
ステージでは聴いたことはない
この曲を聴くとおとなの事情と
やりきれない理不尽に情け無くなる
インターネット放送局「インプレスTV」が、
吉田拓郎ニューアルバムのレコーディングを生中継した。
途切れ途切れに聞こえるストリーミング放送で
拓郎本人の口から初めて電波に乗った、
「ありがとう」の気持ちは本人たちへは届いているかもさえ、解らない。
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
新しい明日を待とう [音楽]
あの娘はムーンチャイルド
川の浅瀬で踊っている
寂しいムーンチャイルド
柳の木陰で夢見ている
奇妙な蜘蛛の巣が掛かった樹々に語りかけ
噴水の石段の上に眠っている
小夜鳴鳥の歌に銀のタクトを振って
山頂で日の出を待っている
彼女はムーンチャイルド
庭園で花を摘んでいる
愛しいムーンチャイルド
時の木霊に漂っている
乳白色のガウンを帆にし風を受けたり
日時計の周りに石を並べている
夜明けの幻影とかくれんぼしながら
サンチャイルドの微笑みを待っている
神様DJ [音楽]
ボブ・ディラン!ジョン、拓郎そして・・・・ [音楽]
BSハイビジョンで再々再放送で3日回目のドキュメンタリー映画「ノー・ディレクション・ホーム」のボブ・ディランを又見てしまった
彼のたどった人生は何気に244ENDLI-xと重なり興味深い
19歳で故郷ミネソタを出てNYのグリニッチビレッジで多数のパフォーマーと交流
彼にとっての憧れ「神」ウッディー・ガスリーの影響で反体制志向の
「フォーク、プロテクトソング、トピカルソング」をアコギの弾き語りと、ハーモニカで注目される
「フォークのプリンス」・・・当時の彼のビジュアルは伏目がちの長いまつ毛
ぷっくりしたほッペで「貴公子」に相応しい母性本能をかきたてる危うさが「売り」だった
ボブの天性のひたむきさで「自分の音楽模索」するが
19歳~20歳はやはりウッディーガスリーのモノマネでしかない
憧れのウッディとは精神病院で廃人になってた彼との初対面を果たす
自分の歌を聞いて欲しくて片田舎から目差してきたのが・・・
その衝撃で振り出しに戻る
回りの大人から注目されるに従い大手のレコード会社コロンビアからのメジャーデビュー
「歌い方は変えない自分で無くなるから」カバー曲「朝日の当たる家」のコメントが興味深い
友人のアレンジを採用するも、後にアニマルズがカバーしてヒット
この経験から他人の楽曲を歌うことの空しさを痛感し2度と他人の歌は歌わないと決めた
作詞作曲を自身でするようになって初めて真実を綴る名作が生まれる
やりたいことをする、強制はされないアルバムジャケットに当時の彼女とのスナップ写真を起用した
リアルであり、ウソのの無い日常の自分を投影している大好きはジャケ写だ
写真の元カノのスージーのインタビューも興味深い
もっとも近くにいてボブの行動を見てきただけに真実の重みが違う
「彼は勘がいいの、自分にとって重要な人を見抜ける才能があるのよ」
同じく元カノのジョーン・バエズ当時は彼女の方が先に認知され人気があり
反骨精神の女神として時代の代弁者としてのフォークの世界ではカリスマ性があった
そのジョーン・バエズが「彼には母性本能をおこさせる魅力があるの、手を差し伸べたくなる何かがね」
今回再放送を見て彼の扱われ方にびっくりした。
ただの生意気・・・かっこつけと思っていたが、アコギを捨てエレキギターでROCKへ傾斜した頃のブーイングの凄まじさだ。
ユダ(裏切り者)いわれ無き罵声を浴びせられてた頃のアルバム
The Bootleg Series, Vol. 4: Bob Dylan Live, 1966: The
- アーティスト: Bob Dylan
- 出版社/メーカー: Columbia/Legacy
- 発売日: 1998/10/15
- メディア: CD
スーツの大人のインタビューの無礼さだ。
ジョンの「ベット・イン」の不躾なインタビューアと同じ空気を見た。
ボブの曲すら聞き込んでないインタビューの失礼さ。
写真用のポーズにサングラスを「噛んで!」
したくも無いポーズを強要する「君が噛めば」とサングラスを指だす当人
「君は何をしたいの、メッセージは?」「メッセージは」「メッセージを」・・・しつこい
「君は僕に何をさせたいの?」と切り返す
今でこそ「ノーベル文学賞候補」にまで時代が認めている詩人の若き姿
ブーイングに傷つき、暗殺に怯える若い「音楽好き」のボブ・ディランを見た。
彼の1978来日公演を武道館で見たがそのときの私は何にも解かっちゃいない
歌詞の中に塗り込められた「思ったことしか歌わない」
それがどんなに困難で傷つくことなのかをシラナカッタ。
漠然と「時代を変えたいんだ」「転がる石、路傍の石でしかないんだ」
歌詞の中にその程度の理解力しかなく、
ダミ声に字余りの歌がかっこよく見えて、ハーモニカと帽子がトレードマークの
珍しくシャイで知的なアメリカ人
そして!可愛い!!
そんなところだっんだね。
ジョン・レノンとのNYでの出会い
ボブと同じプレスリーへの憧れからのスタートしたジョン
ボブ・ディランに会い親交を深め、尊敬しどんどん似ていった
「真実しか歌わない」ジョン・レノンのスタイルが生まれる
和製ボブ・ディランと呼ばれ「日本のフォークの貴公子」としてデビューした吉田拓郎
(彼も似た体験を持つ、学生運動のリーダーに見込まれ・・・反体制分子に愛された)
吉田拓郎を音楽に導いたのはボブ・ディランの「風に吹かれて」
完全にボブしてるこの頃の新譜ジャーナル表紙
私がジョンも拓郎も好きになったのも、ボブ・ディランを好きになったのも最近なのだ。
ほんの10年前からね。
そしてあの当時ドキドキしてあこがれていたパフォーマーは今はほとんどいない
(キース・リチャーズは別格です。私にとっての生涯のアイドルであり、成りたいと思う大人デス)
消えたかなくなられたか・・・・・・
でもミッチ・ミラーさん生きていたんだね、コロンビアのお偉いさんで登場しボブを当時は評価してなかったレコードが売れなかった責任をプロデューサーだとコメントしてた。
似てる!拓郎もおんなじ!拓郎の「人間なんて」を聞いて藤山一郎氏が認める訳がない
NHKのオーディションに受かる訳がない
そのNHKで特別番組が組まれ、つま恋が再公演される、人生なんてラララーーラ(皮肉)なんだな。
ただし拓郎さんが大事に持って上京したレコードは「沢田研二」でした。
ミネソタからNYへ
リバプールからロンドンへ
広島から東京へ
奈良から東京へ
故郷でそれなり褒められ人気が出て首都を目差す
10代で回りの大人の思惑で用意したひかれた線路の上のトロッコに乗り
スピードを増す
が、まだ本線の列車には乗ってない
21歳から自己を見つめ本当の自分のパフォーマンスを探しだす
「初心忘するべからず」はこの21歳からの夢と現実、苦悩と模索との時代に
見出した方向を「初心」とする
ココで見つけた方向がその後の「表現者」パフォーマーを決定する・・・
と能の観世流の世阿弥著「風姿花伝」の書にもある
(ちなみに10代は若さがひとを引きつけ17歳の声変期にあれこれ変えてみても芸にへこたれ地獄時期になる21歳で花の或る芸になり、32歳からが老成を目差した芸の道の修行だと。死の直前に後悔しないため修行に励めと嫡子に残している)
まさに偶像、プリンスと呼ばれた時代を駆け抜けた
ボブ、ジョン、拓郎
繋がる、すでに吉田拓郎故ジョン・レノン夫人とは244ENDLI-xは縁がある
そして1994年の伝説のROCKフェスティバル The Great Music Experience「あおによし」は
世界遺産「東大寺大仏殿」前で開催された。
1994年5月20,21,22日 東大寺大仏殿(奈良)
・ A Hard Rain's A-Gonna Fall
・ I Shall Be Released
・ Ring Them Bells
・ I Shall Be Released
奈良で東西の音楽がフュージョンするそんな夢みたいな野外フェスティバルがあったんだ
しかもENDLI組バックメンバーのスティーブエトウ氏も弟のレナード衛藤氏も参加してる
繋がるんだねここでもね
何かしら奈良は不思議なパワーを持っている
1978年2月21日あの・・・・・日本武道館で見た静寂の中に響く歌声は
今なら数百倍に私の心に響くだろう。
1978年、244ENDLI-xの生まれる前の年
あれから30年が過ぎた。
ドキュメンタリー映画「ノー・ディレクション・ホーム」はDVD化(ザ・ブートレッグ・シリーズ第7集)』として発売もされてる。
又再々再々放送見るもみるだろうな。
予告編へGo
http://www.barks.jp/watch/?id=1000009554
244ENDL-xのFM-大阪「ブートレッグラジオ」タイトルが一緒!
Bootleg Series Vol.6 Bob Dylan Live 1964 -Concert At Philharmonic Hall
- アーティスト: ボブ・ディラン
- 出版社/メーカー: Sony Music Direct
- 発売日: 2004/03/24
- メディア: CD
KinKiKidsコンサート [音楽]
革命コンサート
2008年KinKiKidsの夜明け
カウコンでの後輩クンたちのパワーに押されてKinKiも「渋く」なったもんだと痛感させられていた。
以前のカウコンはKinKiの独断場で31日のKinKiコン参加者がそのまま流れ込むKinKiKidsファンとJフレンズのカウントダウンだった。
それがいつの頃かチケットの流れはJ事務所全体のイベントになりつつある。
(10月恒例のジャニーズスポーツ大会の中止も重なり)
年一度のお祭り騒ぎになった
続々とデビューを果たすメンバー数の多い後輩クングループそして昨年からは後輩クン中心の年忘れ大パーティーとなり
若年ファンのコスプレ・手作り応援グッズがひしめきTV的になった当然チケットは入手困難、まともに当選などしなくなった。
スクールカレンダーからの卒業も他グループの実例を見てはいたのだが現実として突きつけられると納得してしまう。
危機感である。
KinKiKidsというふたりグループの「ブランド価値」の低下、単独のバラ売りの弊害はCM獲得の激減につながりスポンサーの無いタレントは必然的に「持ち番組」が少なくなる。
いわゆる「露出」が少ないと忘れられるのだ。
企業にとって自社製品の購買者のマーケティングに合致せず世間の露出度、認知度、好感度これが揃わなければ
避ける。
KinKiKidsの音楽性もエンターティナメント性もへったくれもない。
あるのは大衆の支持率のみである。
ここで進路を機動を調整しないと「商品価値=ブランド力」の低下が今後のソロワークにまで影響を及ぼす。
一部のマニアな応援者の為だけのお仕事も弊害がでて好きなこと好きなようにしている場合じゃなくなるわけだ。
10年の経験地があり、0に戻るまた1から始める、「φ」の意味を語っていたのを思い出した
アイドルを抜けスーパーアイドルになる為に原点に立ち戻らなければならない
夢を
愛を
希望を
発信する「アイドル」に帰らなければならない
KinKiKidsのブランド価値、それを受け入れなければ
「ENDLICHERI☆ENDLICHERI」も「SHOCK」も沈んでいく
ごくごく一部のオーディエンスのためのだけの活動は
広がりや創造性の限界をつくるのがわかる
「当然にして自分達に新しい価値」をつける、その導火線が「1月1日55.000人の前でのオープンKISS」になった。
「仲良きことは美しき哉」(武者小路実篤、古い!)
これは効果覿面でありそれだけで「グループブランド価値」は数倍に跳ね上がる。
火付けは剛さんであり、動揺で制御が効かなくなり、なされるままの姿を出し効果をあげたのが相方なのだと思う。
入念な打ち合わせや政策方針の会議等があっての「計算」なのかは不明だがごく自然に従来の殻・壁を破る行動に走ったのは事実。
5回にも及ぶKissそれに伴う見つめあい肩を寄せ合いのパフォーマンス付きの歌に、相方を押し倒すシーンの連続に
ファンは大興奮状態。
通常客電が点き、規制退場を告げるアナウンスが出た時点で諦める、おとなしいKinKiファンですらWアンコを叫ぶトランス状態を起こすほどの「KISS」効果をもたらした。
Wアンコの相方のコメント「9時30分以降は音が出せない。けどやっちゃえ!」
コサート時間4時間に及ぶ記録の更新。
ニュースのネタの提供はWS各種メディアは飛びつくし関連の企業にも多大な経済効果をもたらす。
(すでにラッシュジャパン社の幸せのピンクギフトBOXは品切れ)
呼応してKinKiKidsを長年応援してきたファンにとってもパワーがもらえるパワーは支持率、好感度につながりタレント(商品)として意味を持ち大きな結果をもたらす。
今回の展開は香港・台湾・韓国のアジアのファンが待ち望んでいた瞬間でありしばらく放置していたアジアへの市場の最速のアプローチになる。
市場の開拓は企業と同じ「アジア」特に中国なのだ。
今回のドームでの場内アナウンスが国際色豊かな言語になったことでも証明されている
「愛しあってるかい!!!」
57歳で叫ぶステキなヤツもいるんだ(by清志郎)
まぁいいじゃないですか。
それにしてもピアノ伴奏での圧倒的な声量で剛のソロは圧巻
本人も言ってらしたが・・・・「気持ち良い」
本当にデカイ箱も捨てたもんじゃない
またひとつドームLiveという夢の希望が加わった
セットリスト
1.Ove in the φ
2.Bonnie Butterfly
3.涙、ひとひら
MC
4.Harmony of December
5.the EDGE of the WORD
6.停電の夜には
7.Lose Control
8.since1997
9.風の色
MC
10.全部だきしめて
11.一人じゃない
12.僕は思う
13.ノーチューンド
14.unchanged
15.snapshot
MC
16.月光
17.Anniversary
18.愛のかたまり
19.銀色 暗号
20.愛されるより愛したい
21.硝子の少年
22.永遠に
アンコール
23.Night+Flight
24.KinKiのやる気まんまんソング
25.99% LIBERTY
ダブルアンコール
26.BLAND NEW SONG (1月1日のみ)
ジミ・ヘンドリックスよ永遠に [音楽]
本日9月18日ジミ・ヘンドリックスが亡くなった日
ENDLICHERI*ENDLICHERIと言うよりも堂本剛のソロワークのTVアサヒ「正直しんどい」のオープニングに
「Can You See Me 」を選んだことや 番組の場面展開で入る
「Hey Joe 」 「Highway Chile 」 のナイスなチョイス
初めてこの番組がOAされた時、出だしで鳥肌が立ちました
「ROCKの世界へ、よーこそ堂本剛」って感じかな
毎週見ている堂本剛ファンにはジミ・ヘンの音楽が脳内へ刷り込まれているはずです。
シアトルで生まれロンドンに死す
認めてくれた他国のBig Cityでその日を迎える。
ジョンとは同じ境遇なので、何とも不思議な生涯
子供の頃両親の離婚で叔母に引き取られ
15歳で再び母親と暮らしはじめた矢先に
母親の急死、ここまでの境遇もまったくジョンと同じです。
彼の死後同年10月4日にはジャニス・ジョプリンがレコーディング中に
翌年の7月3日にはジム・モリソンがパリにて天国へ。
Jの頭文字、天才ミュージシャン、そして死因がドラッグ
3人とも27歳の若さで逝ってしまった。
この10ケ月の間にROCK史上に残る天才が立て続けに消えた
ジミのギター
ジムの作詞
ジャニスの魂の声
27そこそこで駆け抜けた3人の人生。誰も追いつけない天才たちでした
ギター小僧なら殆どが通るジミヘン崇拝
当のENDLICHERI☆ENDLICHERIはモチロンのこと
ENDLICHERI組の竹内さんも風貌からもしや?と思ったら
プロフィールをみるとやはり影響が大きい
孤独ですさんだ叫びが感じられる
神業のギターはギターの神様です 並ぶものいないマネできない
左利きの彼が右利きギターを逆さに持ち直し
弦も張り替えずプレイするんだから
なまじのコピーも許さない・・
フェンダーのヘッドが下向き、ペグ(糸巻き)も下なのは何べん見ても不思議です
ギターの弦を引きちぎる
分身のギターを燃やす・・・・・Fire
ギタ背中で弾く、これはENDLICHERIもLIVEでしてたーテク
歯で弾く、ENDLICHERIはギターにキス・キス・キスでしたね
しゃがんで弾く。この▲構成きです。
ジミ・ヘンの伝説はギター小僧のDNAの中に永遠に受け継がれて残されるんだろうな
恐るべしジミヘンは永遠なのだね
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