カバーよりカバーしてほしい。 [堂本剛]
カバーアルバムというトレンド
人が出すから自分も出す、じゃやるせない。
拓郎の「ファイト!」
この唄を聞くと生半可な覚悟じゃ歌っちゃいけないと思う。
拓郎の唄う姿に対して感想コメント寄せられていた中に
あなたの歌に感化された長渕剛さんが
いるように、第二・第三の長渕剛さん的
若者の登場を期待するとともに、たくろう
さんの元気をお祈りします。ありがとう
というのを見つけた。
歌唱力でそれらしく合格点はいくアーティストは山ほどいる。
でも本気で他人の唄を「自分のモノにしきれるか・・・」
そうなると「追いかける若者」いない。
拓郎のこの唄を聞くとそう思う。
「カバー」って楽曲提供者自身がジェラシーを感じるくらい
本人のものにならなければ出しちゃいけないと思う。
拓郎の弾き語りを聞くとそう思う。
堂本剛が追いかける若者に、もっとも近い位置にいるだけに
今ではないと
拓郎の優しさと現在の病と闘う彼を考えるとそう思う。
今はまだ諦めという鎖を身をよじり外そうとしてる
小さな魚たちなのです。若者は。
歌詞のなかの女のコの心境は
お母様の願いで「高校だけは卒業して・・」に従いはしたが
美術学校進学の希望を捨てた本人の悔しさとシンクロする。
理不尽に声もあげれず、逃げてしまった10代に
「 女・子どもは引っ込んでろ」の世界を舐め尽くしたのであるなら
20年後には「ファイト」が唄える日がきっとくる。
この国の音楽は70年代で止まっている。
あの時代に魂を掴む唄が多くあるのを見てもそう思う。
流れを変えるのにはやはり「東京」は不向きなのか
北海道と、沖縄に魂を掴む唄は住んでいる。
西のRADIOでポロリとこぼれた
「僕の唄をカバーしてくれる人いないかな?」
拓郎、みゆきさんが唄う「堂本剛」の唄を聴いてみたいと思う自分でした。
辿りつくところは魂のメッセージ。
それが無いのなら聴くのは辛いのです。
墜落した花びらに埋め尽くされたピンクの山
幹にまで咲き出す瑞々しい花ぶさ
そこから発する言の葉を唄を、
他のアーティストたちはどんなふうに
表現するのだろか。