NIPPONの音 [RADIO]
NIPPONの音楽がブローバル化しない理由考察
10代のころトランジスタラジオと格闘してFENを聞いていた。
豊かなる国アメリカ合衆国、その米軍放送の流す曲はどれもがキラキラしていた。
すでに音楽を大人の手からもぎ取りイニシアチブは若者、黒人、ヒスパニックへと無権力な弱者、少数派の求める音楽が主流を持ち始めていた。
その頃の我が国の音楽は完全に大人の古い頭が仕切っていた。
歌謡曲という名のポピュラーソングの分野が全てだったし
拓郎たちフォークソングの登場とRockが台頭するのを待つしかなかった
そして日本の音楽は20年遅れていると言われていた。
未だに坂本九の「スキヤキ」を越える海外でのチャートNO.1の歌は無い。
追いついても世界は先に進んでいて、いつまで日本の先でキラキラキラめいているし
遂に40年の遅れを記録している。
まったく切り込んでいない訳でもなさそう。
アニメ文化が持ち込んだテーマソングはそれなりに健闘しているし
一時のテクノ、沖縄ブームもある。
しかし世界が愛する歌となると米英の「上を向いて歩こう」欧州の「恋のバカンス」のままじゃあね。
40年・・・その間音楽業界、何をしていたんだよ、と突っ込みたくなる。
何より恐ろしいのはエアポケットように空白の時代が長過ぎる。
次はどんな楽曲をみせてくれるのだろうというドキドキするアーティスト不在の期間が長いのだ。
不在なことは無い。現実に存在するのだが不遇なのだ。
魂を揺さぶる楽曲を提供出来るアーティストはちゃんといるしオーディエンスとのコミニュケーションを確立しているが目立たないだけなのです。
アーティストのコアなファン以外の人々に触れるチャンスが無いだけなのです。
その結果は時代を逆行し70~80年代の楽曲が光輝く煌めきを放つ。
あの頃は良かった・・・・なんてことを言っている大人の影では
この期間にココロに響く音楽をインプットされない若モノは答える。
「思い出そうとしても浮かばない」
今、音楽業界から打ち出され、提供される楽曲は彼らの魂を揺さぶるまでにはいかないのだ。
9月25日のbayfmのFashion&Music Bookインタビューで(多少の編集と意図があったにせよ)そう答える10代20代がいたことは事実です。
その彼らがこれからの音楽業界に携わっていくのだ
末恐ろしい
70年代80年代を通って来た世代が全くいなくなった時
世の中では音楽はBGMの役目しか果たさないのだろうか
アニメ映画のサンドトラック盤でしかココロを揺るがさないのだろうか
クラッシックとJAZZだけがコアなファンに守られているのだろうか
番組の中で語られた剛さんが発した危惧の要約は、
アーティストの表現を当のアーティス以上に個性とメッセージをもつレコード出版業界の担当者
アーティストの表現をさらに増幅させ世の中に定着させる情熱を持つ担当者
それはレコード製作に携わるディレクターであり、企画全体を決定するプロデュサー
アーティストと消費者の中間に位置する彼らがすべきことは自分の押すアーティストを
誰に何処でどんな手段で投げるかを考えることだと
時代はマーケティングが先行し追従して商品化する・・・システムになっているようです。
サラリーマンの彼らには会社から割当てられる数字、業績に捕まり身動き取れなくなる
故にありきたりなLOVE Songのオンパレードとなる
自分の為では無い誰かの為の楽曲が目白押しで各社から発売になる
関心が薄くなるのも当然だと思う。
思いつくのはRCサクセション、清志郎デビューシングル「宝くじは買わない」のリリースを見ると解る。
バンドメンバーとの録音はした。
しかし発売の時にはレコード会社専属のスタジオミュージシャンのテイクに差し替えられた
清志郎の心を深くえぐったこの事件は外部プロデユューサーへの不信、
プロダクションの内部分裂騒動で孤立し
スタッフも仕事も与えられない飼い殺し状態にもなる
その後10年のスランプを引き起こす。
売るための判断は清志郎の音楽性を無視したひどい仕打ちです。
リスクを恐れるのはサラリーマンの宿命ですが
数字は取れない覚悟でリスクを張るのは上司に度量、と責任感
その上司を動かすのは部下の熱意となる
インフレ人事なのかな?
社長は部長レベル
部長は課長並み
課長は平社員以下
平社員はアルバイトの仕事をするのがインフレ人事です。
誰も責任を取りたがらないし仕事を失いたくない。
そのスタッフたちのインフレな環境で表現者は最低ギリギリのアートをする
それはすでに「商業デザナー」の世界でしかない。
音楽はアーティストの創るモノではなくなります。
アーティストは音楽の職人と化した、ミュージシャンになります
モノ創りに携わる商品開発者は絶えず現場から突き上げをくう
「店頭で売れる商品を作ってください。今の消費者はこんなモノが欲しいと言ってます」
それが・・・
『店頭に来ないと手に入らない商品を創ってください。消費者の想像を遥かに越える心掴むモノでお願いします」
だとしたら考えるんだろうな〜〜〜〜。
1979年7月1日SONYのウォークマンが誕生した。
消費者からの要望では無く、消費者の想像を遥かに越えた携帯ステレオが生まれた。
結果は世界中が飛びつく前代未聞の大ヒットになり、音楽を聞くスタイルが変った。
31年前堂本剛の誕生年の話です。
80年代までにありとあらゆる音楽が出尽くしたし
ハードの環境も登りつめた
それを使いこなす技術者演奏者
全ての水準は世界に匹敵するのに
世界での音楽シーンでは相手にされない日本
残されたは未知なる音楽とは
NIPPONをオリジンとする音なのかもしれない
ジョン・レノンが和楽器に興味を持ち
俳句の宇宙に惹かれたこと
それがヒントかな?
サムライが大好きで
武士道にロマンを見い出している世界に
深みと気品でただ者とは軽視されない音
オリエンタルでもアジアンチックでもジャポニズムでもない音
エキゾチックだけではないNIPPONの誇り高い文化を背負った音
NIPPONだよね。
この国はきっとキラキラ輝く
黄金の国ジパングです。ね!
西のRADIO繋がる [RADIO]
どうも皆さんこんばんは、堂本剛です。
さぁ本日も始まりました堂本剛とFashion & Music Hall今日はですね第65回ですね。
うんキッチリ65回で、まぁ止まったのかな・・・という感じもありますが。
で「今日から始まる貴女と新しい繫がり」というテーマが今日はあります。
うん、で今夜ねぇ初めて聞いてる人も居る可能性も無きにしもあ〜らずなんですが。。
今夜で私のこのレジオプログラム終了するという、昔でいう・・何でしょうね、もう、へこ-っていう感じでしょうね、2008年3月7日第一回とにかく始めて見ることが大切だというタイトルからスタートしたんですけども、終わりの時は「今日から始まる貴女と新しい繫がり」というタイトルがついております。
ちなみに第二回は「不安を持ったまま進んでいきゃいい」というね終わりというのはすべての始まりでもある、うんということでもあったりとかそんな色々様々な思いを込めながら今日は最後、おつとめさせて頂きます。
ずっと聞いて下さった方とたまたま聞いて引っかかったんです、みたいな人とか、いろいろいてくだはりましたね。
うん電波メチャ探してくれた人とかね。
う〜んでもあのぉとにかく色々な人達のね想いの詰まったラジオだったのでね。
終わってしまうということは非常に残念なんですけれども。
僕も本当にそのこのね地元の言葉でとういか関西弁でね、そんなに喋れる場所でした。
聞いて下さるファンの方とも本音でね話できる場所頂いてましたから、そういう場所がひとつ無くなってしまうということは、ちょっと淋しいなとやっぱり思ってしまいますけど。
うんでもいろんな場所を通してね自分はこんな今本当のことを誰も言わない世の中ですけれど、本当の自分を生きていこうというふうな決意をしたのもラジオの力ですし、この決意はね揺るがすことなく生きていけたらなと思っておる次第で御座います。
さぁまぁ今日本当にね初めて聞いた人がひとりでもいてくれることを願うんですけれども、うん、初めて聞いたラジオが終わる時、っていうのもオモロイなと思いますが最終回今日ね皆さん是非最後までお付き合い願いたいと思います。
この番組アーティスト兼プロデューサーである堂本剛のセルフプロデュースによるレヂオプログラムで御座います。
愛する関西の皆さんとお話できる残り僅かなこの時間を楽しんでいこうと思うております。
あなたとの様々なご縁繋げていく気持ちで今夜も愛を持ってラジオをお伝えできればと思っております。
聞いて頂くということもね、これご縁の一つですから折角繋がることができたので僕と繫がることが出来た方これからもね、ずーっとずーっとこのラジオが無くってしまいますけれども繋がっていて欲しいなと思います。
さぁという事でね,エ〜〜〜何も考えてなかってんなぁ。(ス:ふふっふの笑い)
うん、いやそんとき思いついたやつにしようって思もうてんけどなぁ迷わんでもいいんやろうけどな迷うよね。メチャ悩むよね。(選曲に悩んでる)
まず、ChanceComes Knockingにするかなぁブルーベリーにしようか迷ってねんけどなぁ。
まぁ凄く無責任な言い方にするとどっちでもええかなという。うふひゃひゃ(瀑笑い)
無責任な言い方するとなどっちゃでもいいかなという、歌詞の内容Chance Comes Knockingには「チャンスがやって来た!」っていうよな意味やからうん、Chance Comes Knockingかけよかな。
じゃぁまずはこの曲最終回ですけれどもねこの曲聴いてもらいましょう。
ChanceComes Knockingどうぞ。
♪ Chance Comes Knocking /ENDLICHERI☆ENDLICHERI
さっ皆さんねぇ、番組、先ほどもお伝えしましたけれども今日最後ということでまぁ始まるものは終わってしまうんだと言いますけれども本当にそうだなぁと思います。
終わるところから始まるものもあってねという・・・そういう感覚もあったりしますね。
折角ねこの番組で繋がったご縁ですから何か又機会があれば、出来たらなぁというふうに素直に思いながらね今日は最後までおつとめしますけれども。
すももさんね、ありがとうございます。
「えー剛クンスタッフの皆さまいつも楽しみに聞いていました。」よっと。
「今回メールさせて頂いたのはどうしても剛クンに伝えたいことがありました。
BOOTLEG RADIOの4月18日放送でツアーメンバーの皆さんとなんばHatchの最前列なのに双眼鏡で見ているファンのコを話されたこと覚えてらっしゃいますか?
実はわたしです。」というね。そうだったんですね。
「何故双眼鏡で見ていたかというと、弟に最前列で双眼鏡で見たていると剛クンにイジッてもらえる(ふふっ笑い)んちゃうかぁと言われ素直に従った」と。
「LIVEでイジって貰えずラジオの放送でイジられると思いませんでした。」と「どうでもいい情報ですがあのLIVEの日は私の誕生日でした」と。
放送中の話の中で
《一番前の人が全く笑ず全く動かずじっと僕のことを見ている回がたまにある、緊張してもうてんかね》
こんなに近くで美男子を見ること無い訳じゃないですか。二度とこんな近くで見れないと思ったら、そらガンミしますよ、こんな近くで剛クンに逢えてとても幸せでした。」という。
《よりデカく見たかったんじゃないかなぁ》
見たかったですが、おもちゃみたいな双眼鏡なので実際は50センチ位剛クンが近くなっただけでした。こんなイジラれ方でしたが私にとっては良い思い出です。誕生日でした。
剛クンスタッフの皆さま2年半ありがとうございました。
わたしは私なりにブログで剛クンの言葉沢山載せて色んな人に見てもらえるようにこれからも努力して剛クンと繋がっていたいと思います。
ファンの皆さんも方法は違ってもその気持ちは同じだと思います。又、FM大阪さんで剛クンの声が聞きたいです。絶対帰って来てください」
ってふうに言ってくださっています。
ねぇーこれファンの人がね、ブログなんかでね僕がお話しさせて頂いた言葉をチョイスして載せて下さってるって非常にありがたいことだよね。
だって僕ブログ出来ませんから。
皆ブログできるねんけど。
ふぅむこうやって僕が叶えられないこと皆さんが叶えて下さる。
本当にこういう繋がりというのがねもの凄く強く深まっていったきっかけをラジオはくれているんですよ。
僕にとって、これからもね、う〜んLIVE会場でもお逢いできることもあると思いますけれどもでもやっぱりラジオでなければ伝えられないことも一杯あってね、うん非常に残念ですけれどもこういうふうに熱くね語って下さる方、どんどんどんどんね葉書の量半端なかったと思いますけれども今日はちょっと厳選させて頂いて読まして頂きます。
さて続きましてね。
やすえさんですね。
「毎週楽しく聞いています。このラジオが終わると聞き本当に哀しい思いです。
私の母は特別支援学校で先生をしています。
その母が手を上げたりグルグル廻したりする曲何て曲?って聞いてきました。あれはChanceComes Knockingだよ。と教えると音楽の授業で使いたいな」と言っていました。障害を持った生徒にどのような授業がいいか常に考えている母にとってCHERIのLIVEは音に乗せて踊ったりリズムを取ったりできるので勉強になるものだったようです。
きっと生徒の方々にもFUNKのノリや楽しさが伝わると思います。
剛くんのLIVEは毎回FUNKの楽しさを教えてもらい自分や人生について見つめる時間を与えてもらえます。そしてまさに音を楽しむということを体で感じさせてもらっています。
LIVEしかりラジオしかりとにかくありがとうという言葉しか出てきません。
本当にありがとうございます。
そしてラジオお疲れさまでした。また逢えることを願ってやみません。
剛くん大好き愛しています」
と言ってくださっていますね。
音楽って音を楽しむってことやからなぁ。
僕が大事にしているのはLIVE,生きてる、グルーブ。
うんグルーブが良かったらいいっていうそういうこと。
頭じゃなくて、グルーブで音に乗っていくということが大事なことなんですけどね。
様々な環境や場所に対して自分の音楽が、なんかこう生きていくのならば自分が生きていた意味がもの凄くあってね。
だからChance Comes Knockingで良ければ、ぜんぜん流して頂いてもねエエなぁと思いますよ。
人って生きているから色んな試練があってね、ひとりひとりに。
うん。それ自分が乗り越えていくものであってそれは自分の力で乗り越えなアカンというのが最終的なものやから。
何かきっかけは与えることは出来てね。
でも最後まで引っ張ってあげたとしてもそれはその人の為にはならない。
自分の音楽とか自分の想い、言葉もそうやねんけどね誰かのきっかけになればいいなと思って創っているモノなんで。
今のようなお話を聞けると僕が嬉しく感じていますね。
まぁ機会あったら是非Chance Comes Knockingを流して頂けたらなぁと思います。
うん、それ凄く僕嬉しいと思います。ありがとう御座います。
さっ続きましてジョンドンさんね。
「こんばんは堂本剛さん。僕は韓国からの留学生ジョンドンです。
僕は中学3年生の時から日本語をただ趣味として勉強していたんですが進路を決める時になって自分が本当に好きでもっと勉強したいものが日本語で日本の文化であることに気付きました。
2008年日本の大学に進学しました。又、日本に来た理由の一つが堂本剛さんでした。
中3から剛さんの音楽を聞きまだ子供の自分には理解できない愛に対して自分なりに考えたりもしました。
日本でのしんどかった独り暮らしも剛さんのラジオを聞き一生懸命に頑張っている剛さんに負けない為に頑張って、また頑張りました。そうやって3年目になりますが10月には韓国の徴兵に2年間行くことになります。
軍隊というと人を殺す技術を教える所だと言う人もいますが僕は剛さんから教わった本当の愛というものをしっかり胸に刻んで人を殺す為では無く世界の平和の為に2年間のあいだ頑張ってきます。
その後また成長した自分でもっと成長した剛さんに逢えたらいいなと思います。思えば僕は2008年の4月に来て2010年の10月に帰りますがこのラジオが始まってまた終わる時期と一致しこれも何かの縁だと思います。
追伸:奈良の明日香村で《ツヨシィ》という僕のかけ声に《ドウモ》と応えてくれて本当にありがとうございました。
10月6日7日の京都でのコンサートが剛さんに逢える最後になりますので素晴らしいコンサートになりますように僕の空に祈っていきます。」
ありがたい話ですね。
う〜んそやねんな、最後になるねんなぁ。
本当にね自分が想像しない縁を繋いでくれるねんな、自分ていうものはそれは皆もそう。
だから求めるのではなく捧げる、っていう気持ちでね、生きていたいなと思うです。
なんか僕の国のね徴兵という制度が無い、でも制度があるから徴兵に行く。
この違いが人生の中にあってね彼が言っているように成長した自分にで成長した僕に逢いたいと言ってくれるてるから僕ももっともっと成長しようと思って読んいるけど、その人を殺す技術を学ぶ為に行くんではない、そんなことを逆に今、教えてもらったかなという感じがあってね。
争いってのは何も生まない、これ本当にそやなと思うねんけど。
でもその争う理由が何なのかという事を考えない限り争いは無くならへんから。
その争いを無くす為に何かを潰すのではなくてあるいは無くすんでは無くてね
争う理由それが目に見えるものなのか目に見えないものなのか、色んなことを話ししなければいけない。
国によっては制度も違うし文化も思想も違う。文明も歴史も違う。だから合わない合うみたいな話になってくるねんけど、そういうことをいってると一生何も変らなくて生きているといることやねん。な。
そして死んでいくということ。
これは皆が共通していることでね、だからそこを考えればいいのかなと思うねんけど中々こうそのシンプルな所に立つのが難しいのかのかなぁーって。
言葉で言うと、もの凄くかどがあったり傷つけたり色々あるけど音楽であれば表現であれば少しは伝わるかもしれないと思って歌ったり、音鳴らしたりするんですね。
で今ね韓国から来たんですって僕がきっかけとなって日本に来てくれて本当に嬉しいきっかけになれたなぁって、且つ日本の文化に興味を持ってね日本語に興味を持ってね。
もの凄く嬉しいことやな、人生一度やから色んな経験するってことは自分に凄く重要なものやしね。
並大抵の努力ではないと言うか、凄まじく厳しい時間を過ごさはるんでしょうけど。
でも今の彼の中にある気持ちってのはもの凄く優しい、あったかい。
何か一緒に部隊の中でやる人たちにきっかけを与えられる人になるんだろうなぁってちょっと思いました。
そのルールとかシステムに乗っかっていくだけではなくて考えながらそこを歩くということが彼は出来る人やから素晴らしいなぁって今思いました。
う〜〜んですから平安神宮ね、彼とは最後になってしまうのかもしれないけれども、また成長した自分たち同士でね遇える日がくればいいなぁと。
もしかしたらその時にラジオがね、またやっているかもしれへんとかそうなったらそれも面白いですね。
とにもかくにも人生一度ですから自分らしくその時間を生き抜いて欲しいなと思います。
本当に熱い優しい思いをありがとう御座いました。
さぁ今もエピソードにありましたけれども自分の歌を聞いて日本語を覚えてくれたりとか色々あってね。
そのエピソードよく聞いたのは、ソメイヨシノとか空・・とかとかもそうだったんですよね。
いわゆるバラードなんですけれどその歌詞を知りたくてって、意味を知りたくって覚えてくれはったというエピソードが凄く多かったんですよね。
ですので「ソメイヨシノ」とあとじゃあ「空〜美しい我の空」こちら聞いて頂きましょう。
どうぞ。
♪ ソメイヨシノ /ENDLICHERI☆ENDLICHERI
♪ 空~美しい我の空 /剛 紫
FM大阪さんからお送りしております堂本剛とFashion& Music Hall続きましてもこの番組に頂きましたメールご紹介していきます。
ナロワさんですね。
「剛くんスタッフの皆様ラジオが終了すると聞き驚いています。
私は神奈川在住なので残念ながらラジオを聞くことが出来ません。
でも毎週リアルタイムで実況して下さっているファンサイトのラジオのホームページオンエア曲を見て放送時間に感じさせて頂いてました。
ラジオは剛くんの思いを聞くことのできる大切な場所です。
そして私たちの思いを誰にも邪魔されることなく剛くんに届けられる大切な大切な場所です。
終わって欲しくないです。
特に剛くんが愛してやまない関西で大阪での放送、わたしも聞きたくて仕方がなかったです。
毎週番組の最後に剛くんの言う《ほな》の挨拶。こちら関東では聞くことは出来ないこの短い挨拶に剛くんの関西への溢れる愛情をいつも感じ羨ましく思っていました。
いろいろな企画に参加させて頂きました。
みんなが選ぶ堂本剛サウンドベスト10、自分の選んだ曲が何位なのかドキドキしながら発表を待っていたこと・・懐かしいです。哀しいです。
でもきっと又FM大阪さんで剛くんのラジオ聞けることを願ってます。
信じています。
2年半ステキな放送をありがとうございました。
BOOTLEGRADIOの時頂いたステッカーLIVEに行く時にチケット入れに入れて毎回持って行ってます。
ありがとう御座いました。
剛くんお疲れさまでした。
大阪での放送毎回聞きたくて羨ましかったです。
また剛くんの愛する大阪でお仕事が始まることを願っています。
剛くんラジオ始めてくれて本当にありがとうございました。
愛しています」
っと言ってくださっています。
ねっ。
続きましてなつみさんね。
「剛さんスタッフの皆さんこんばんは。
ラジオが終わってしまうということで感謝の気持ち言いたいと思います。
高校3年生の時の私は介護福祉士国家試験を受験しました。
合格するため死ぬ気で勉強した3ケ月頭の中がパンクし何故か介護福祉士を目指しているのか解らなくなって勉強が嫌になった時もありました。
いらいらして本当に苦しく逃げ出したかった時にラジオから聞こえる剛さんの声にとても癒され涙が溢れました。
そんな時ラジオから流れてきた「叶えkey」に人生一度きりというフレーズを聞きふと、我にかえりました。
人生は一度きりしかないんやから、やれるだけのことはやろう。と思い直し国家試験当日まで勉強頑張ることができました。
そして剛さんまわりにいる人たちのお陰で介護福祉士を取得することができました。
今は短大へ進学し幅広い福祉について勉強中です。
剛さんのラジオで私は何回も人生を振り返ることができ前へ進むことができました。
剛さんスタッフの皆さま本当にありがとうございました。
またいつかラジオから剛さんの声が聞こえること、聞けること願っています」
ですね。
イヤもう様々な人たちにキッカケを与えることができているこのラジオね。
こうお便り頂くと・・本当にやってて良かったなぁと思いに更になります。
ねぇ、うん。
恩返しなるか。 [因縁な話]
続・人との繫がり [ENDLICHERI☆ENDLICHERI]
東のRADIO人との繫がり [RADIO]
Semi final [RADIO]
RADIOはダイレクトコミニュケーションの手段として最適のメディアなのことを剛さんの放送で知りました。
ダイレクト、しかもリスナーのメールとのやり取りは一方通行ではありませんでした。
剛さんの返す言葉に確かな繫がりを感じたし、気持ちが響き合う心地よい素晴らしい時間がありました。
このことは大阪周辺の電波受信地域だけでは留まらず日本全国に広がりました。
私が思う「RADIOが残したモノ」はそのことです。
(ラジオ放送業界に携わるすべての『RADIO MAN」に伝えたいのです)
ひとつの番組を日本中の剛さんファンと共有し知って欲しくて「文字化」をすることに仲間達が立ち上がったこと。
放送される剛さんの想いが文字に書き直すことで変化しないように心を込めた文章で綴り残してきたこと。
動機は、電波の届かない地域で待ちこがれる堂本剛さんファンに真っ直ぐに届けたいとう純粋な気持ちだけです。
「Fashion&Music Hall」で剛さんが繰り返し発信する、「自分が行動し周囲に優しさを持とう」という考えは「声」で聞ける方たちだけでなく日本中のファンの知る事になるのです。
顔も知らない大勢の仲間が剛さんの放送を通じて日本中に出来たことです。
自分の中にある「命の大切さ」「親を思う気持ち」「何が足らなくて争いになるんだろう」「世の中の不公平感」それらを考える時間を持ちました。
テレビという不特定多数にタレ流す「時間」はもう私には必要ありません。
創り込まれ、作家さんの面白可笑しいシナリオで進行する世界は見抜けますし信じません。
嘘の無い真実の語りそんな普通の事が無視される時代の流れに怒りさえ覚えます。
RADIOはリスナーの真横で共に闘う、その使命を貫いている誇り高きメディアです。
放送終了を受け止めた今、かけがえの無い時間を提供してくださり、RADIOの可能性に挑戦しつづけ私たちに仲間の絆を与えてくれたFM 大阪さんに最大級の拍手とありがとうを差し上げたいです。
西のRDIOは最高でした。
つよしんぐわーるど 西のレポ隊 キャスケットより