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求めない与える [RADIO]

台風一過朝焼け0682JPEG変換.jpg

与えるは使うこと

東西のRADIO
気になったワードがあった。
西はクラーク博士の有名な言葉
東は真面目な話

その両方に登場した言葉  与える・・・

「与える」

西のRADIOで北大のクラーク博士が辺鄙な貧しい北の地の開墾に繋がる
農学部の礎を築き偉業を成し遂げたことに触れた。

日本人ではないと・・・そこに気がついた。
ガイコクジンなんだよね、

明治9〜10年
未開発で情報のない日本に「近代農業」に手を差し伸べて頂いてたアメリカ人。。。
与えたのはクラーク博士の大切な人生の8ヶ月間の時間を使うことだった。
この国が忘れてどうしよう。
母国での彼について語られることが無くなったとしても
この国では絶対忘れてはいけない。

少年よ大志を抱け・・

ただし金を求める大志であってはならない。

おのれの利己心のみを望む大志であってはならない。
名声という浮ついた、つかの間のものを求める大志であったはならない。
人間としてあるべきすべてのものを求める大志を抱きたまえ。

英文

Boys be ambitious !
Be ambitious not for money or selfish
aggrandizement , not for that evanescent thing which men call fame. 
Be anbitious for the attainment of all that a man ought to be .

RADIOを通して剛さんの彼の口から告げられる言葉はほんの数分でしかない、
人生の中の数分を「使う」ことで与えられのだ。
それが堂本剛の役目なのだと思えた。
与えられる位置にいる。

聞いてるリスナーは考えさせられる
百年も前に頂いた(与えてもらった)恩恵は、恩返ししなければならない。
「与える」を「使う」に置き換えれば納得がいった。

自分の時間を使い、気持ちを使い、行動しなければならない・・と。

「与える」というというよりは自分には「使う」というほうが近い。

時間は過ぎ、使われていく。
時間は命の証、使って下さい私の時間となる。

 

東のRADIO

「生きるということ、私の存在には意味があるのだろうか?」
リスナーの問いかけだった。
誰もが通る「無常観」に耐えられずメールというカタチでSOSを送るリスナーだった。

メールの主の年齢は不明だがリスナーの環境が学び舎であり、会社であり、家庭という
ごく限られた範囲と学ぶ知識が学業とほんの社会の一翼なのであらば
その限られた中で何を教えられ何を学び取るかで「自分の存在=意味」見えてくる。
そのベクトルが何に向けられているかだと思う。
そしてRADIOからの答えも「与える」だった。

学び考えて成長することで周囲に与える
意味を求めず、与え続ける
結果に救い、救済に繋がる

理想は与え合い成長する
そして。。消えていく

深く突き詰め自分を追い込み苦しむのではなく
今できること日々学び、自分らしく、周囲に感謝する

そして与える

生きるということは
一瞬一瞬を何に使うか・・

何にどう、時間を使うか、命を使うか。

成長の課程のつどごとに「与える」は姿を心を変えて現れる。
それをどう「使う」かで「与える」はその先にあるような気がした。

clarkface.jpg

行動範囲が広域となり視野が広がると
NIPPONから世界へ出たくなる。

世界に出るとNIPPONが愛しくなる。

時間の命の使い方は誰でも選べるし決められる。

大志とは将来への遠大な希望、大望のことで、夢とは違う。




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