水声〜suisei中日 [堂本剛]
奈良文化財研究所さんのLIVEカメラばかりでは怠け者です。
ということで朝日を撮りに平城宮跡に向かう。
見慣れた風景、刷り込みもかなり入っているがやっぱり違う。
匂いが違う
全然ちがう。
朝霧が幻想的です。
たれ込む紫の暗雲さえキレイでです。
散歩道にカメラ同様にやつぱりほとんど人影がない。
国立公園の朝の散歩。贅沢だね。
さあ〜〜〜本日も武者修行です。
仲間のサポート、ツイッターのリツィートテクノロジーが支えてくれます。
現場なら100年会館では、たった一人の路上パフォーマンスです。
そして無情の雨・・・
あんなにキレイな青空が励ましてくれていたのに開演30分前のスコールが
自分をずぶ濡れにする。
逃げる間も場所もないんだから仕方ない。
雨に走り、駆け込みむLIVE参加者を俯瞰で眺めてました。
中日は開演は4時スタート、音漏れを求めて場所を見つけて参戦です。
そう、自分にとっての水声〜suiseiは野外LIVEなのです。
東北LIVEでチケットを譲って頂いた方と、横浜みなと未来で毎週会ってた旧知の友
そのふたりと、50人もの同胞が息を止めて微かな歌声をメンバーの音を拾う
何回も何回も聞き込んでいるからこそ「耳」は音を聞き取る聴こえるのです。
夕日を浴び、落日を見つめ背中に「街」を聴いたとき不覚にも涙が落ちた。
あの夕日の方向は平城宮跡なのです。
いつかあの誰もが受け入れてもらえる広場で聞きたいな「街」
暗闇と化してもなお30名のほどになった同胞はコンクリの冷たさも固さもがLIVEなのです。
声も立てず、皆で見つめた夕日と茜雲を生涯忘れないんだろうな。
開演直前の突発な通り雨が連れてきた大切な時間でした。
あのまま降り続けたら・・・この夕日の時間は持てませんでした。
明日は一体なにが待つのだろうか。
心細さも涙の原因のひとつです。
水声〜suisei初日 [堂本剛]
なら100年会館のチケット難は深刻です。
6月公演は東京で奈良平城宮跡ライブカメラを眺めて現地へ思いを飛ばした。
以前のチケ無しでの現地入りがトラウマとなり今年に6月は奈良には向かわなかった
が・・・東京での想いを飛ばすのもかなり我慢が堪えた。
そして今回2011年秋、10月水声〜suiseiは行動に出た。
無心で「メッセ−ジボード」を掲げよう
まるで托鉢の僧のごとくそこに存在しようと
これは修行です。
自分の精神力が折れない限り続ける。
何故なら、
嬉々として目の前を通り過ぎるLIVE参加者を見送るのはシンドイのです。
長い考える時間を持つことは、最悪な事態しか思いつかない。
なにごとも無くトボトボと帰京する自分を想像するのです。
今日も駄目明日も駄目、そして最終日、何事も無かったことのように今年最後のLIVEは終了する。
その図が浮かんでは消える。
人通りが途絶えると空を眺め、心をリセットする。
誰かがきっと「縁」を結んでくれる・・・気持ちをテンションを無理無理上げていくのです。
この日は開演直前に、会館前には20人ほどのあぶれ組が最後の駆け込みオーディエンスからの
「一緒にいかがですか」の土壇場の同行を希望する声を待っていた。
6時55分突然雨が降る
いわゆるバケツをヒックリ返したような土砂降りです。
ア然と呆然とリアクションも取れないま全員無言で見つめていました。
何が起きたのか・・・
まさかライブを見にきた龍神登場?
気象界の水声は1分で終了しその後はピタリとやんだ。
「3時間の剛さんの水声の公演、1分間で見てしもうた」
そう自分に言い聞かせ初日は終了させた。