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努力と葛藤 [平安神宮奉納]

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努力:深夜2時ライティング打ち合わせ

10月30日

最近良くない「種」が自分の深層心理の引き出しに入り込んでいる

比較から生まれるナサケナイ妬みの「種』です
とあるアーティストは自分が望むものを全て手中にしていることへの「妬み」という「種」
これって「火種」というモノなんだと思う

山中湖きららシアター
サマフェス
東京JAZZフェスティバル
fm局主催LIVE
パリ公演を含む欧州ツアー
平城宮跡LIVE
ジョン・レノンスーパーライヴ

それらを普通に実現しているアーティストへのジェラシーです。

風が煽ればいとも簡単に妬みの炎になり
発火という恐ろしい諍いになる火種
良き種は水で発芽し実りある結末が用意されてる
火種を鎮火させるのも同じ水なんだと思う
30日のような容赦のない大雨のような

30日にはRADIOにも大雨があった

平安神宮LIVEへの思いに比喩はされていて
ストレートな表現でない
禅問答のようなコメントです。
 
色んな
いろいろあって
凄く
ほんとうに
 
ためらいがちにくり返すが諦めたとはいわない。
今年はもう終わり、来年仕切り直しなことだけは理解できた。
 
0か100の0なんだね。
 
放送の中で「何で自分だけが・・」結果を出せないんだろうと思うとも。
努力しても最善をつくしても報われない結果に落ち込むスタッフを指しているように聞こえた「ファンの人達の見えないところの努力葛藤が音になる」
裏で起きてる「何か」だけは伝わった。

平城宮遺跡は奈良市、奈良県でも聞き入れてもらえないNIPPONという国の掟があり、その先にはユネスコ本部という世界遺産を保護する世界の掟がある。
物販どころか営利目的のLIVE開催にはそれ相当の大義名分も必要となるのが想像できるし理解できる。
世界遺産の景観を壊す「公共トイレ」「飲食施設」も建設はNG。
それどころか復元(建設当時の建材、建設技術を使う)する義務が課せられ、再現(現在の新建材使用しハイテク機材の投入)は許さないと荒井知事も嘆いてた。

そんな自分には想像もつかない「掟」と闘っての発言なのだからRADIOから流れるメッセージの深読み不可能になる。
理解出来るのは
2010年の平城宮跡LIVE開催は無理だと言う事だけだった。
そのためにも京都だろうが、奈良だろうが東京だろが進んで行くしかない・・・・。
その押し問答のようなコメントからは希望も絶望も越えた、これからすべきことが微かに見えただけだった。

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葛藤:心は奈良、体は東京
腹くくった
求めるものは本当になくなった。
もう求めない。
捧げていくという,コト。・・・だけなんです。
求めることは大人にもしていない、そんなにこういう風になるのって難しいことなんかなぁ〜という話をした。
もし不安なら僕は、こうこうこおっとしてあげられるし、こうする事も出来るよ。
無理なものは別にやる必要性は無いと思う。

コミュニケーション不足やからね日本って。
求めると相手は気持ち良くないね。
なんでいつももオレだけやねんって気持ちになる。
無償の愛という感覚で血は繋がっていなくても『縁』やからそこに捧げていくことあればいいやんけどな。

答を求めるのではない。
結論をだす為でもない。
希望を受け取るのでもない。
う〜〜〜〜ん禅問答コメントだよ。
断片的な言葉の中から真意を見つけるのが難しい。
ただ自分の火種を燻ったのは平安神宮LIVEについて語った、
急なインフォメーションで平日開催にやり繰りをつけて駆けつけたオーディエンスで
1日5000枚×2日のチケットが即日完売したこと、
更に音漏れ組が多数いたことも伝えられた。
5000人とういオーディエンスの数は10月11日音絵巻、平城宮跡大極殿LIVE報道発表で
伝えられた参加人数と同じだということだった。
自分の頭を横切ったのは「一万人集めるのは堂本剛なら出来る」という優位を示す「奢り」
そんなんじゃ大義はついてこないなぁと何の為に平城宮跡LIVEを希望するのか根拠が無い。
本当に実現を願うのであれば他のアーティストの行動に揺さぶられるている事自体がおかしい。
本の予言だからでも無いし、遷都1300の今年だからでも無い。
自問自答を繰り返し自分の本心がさらけ出した。

あの場所を剛さんが好きであの場所を皆も好きなのです。
あの空にいちばん似合う堂本剛の音楽が聴きたいのです。
同じ思いの「種」がみんなの心にあるのです。

「火種」はこの日の放送が消してくれた。

10月も終わって
11月に入ります。
11月がくれば
あっちゅう間に来年や、なんやという話になりますので
今年やり残すことが・・・まぁあってもいいと思うし、
イヤならばまぁ手をつけてもいいと思うけど
手をつけることが自分らしくないんであれば手をつけなくても
いい・・と思いますが。
それぞれ自分らしく生きて欲しいな、という願いを込めてこの
叶えKYE聞いて頂きながらお別れしたいと思います。
御相手は堂本剛でした。
さいなら。

最後も禅問答でした。



自分らしく生きるのを希望されているのならば

諦めたとは言わない限り
自分は諦めたりはしない。

これが答だよ。

 
大極殿LIVE光霞b.jpg
努力と葛藤:オーディエンスも同じ
#244heijyolive

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