SSブログ

SUNDAY MORNING初披露 [RADIO]

天空△灯籠8.jpg
西と東のRADIOで新曲のお披露目があった。
今回はバック演奏もすべて自身のセルフ・・・・
という事でそのことについての思いを伝えるコメントが炸裂。

SUNDY MORNING
音楽を終わらせよう

「音楽を終わらせよう」このタイトルが先行したいきさつが語られた。
音楽を捨てようと思うまで至る心境はひと言付け加えることですべてが解る

売れる音楽を終わらせよう   なのだと思う。

プロテストソングへ移行する際に生じる周囲との軋轢が見えた。
神戸LIVE 終了後の公平さんスティーブさん名前は上がらなかったが
もし、吉田建さんが居たとしたらこの日本でFUNKで1万人がJUMPする光景を
目にすれば大人な考えだとしたらそう思うに違いない。。。

「フェスにも参加して大勢の人に見せたいよね」

そんな師匠たち大人のため息が聞こえてくる。
音楽を敬愛し人生のすべてを捧げてる公平さん達にしてみれば一万人のFUNKはミラクルです。
信頼する諸先輩に登場頂きと夢心地で終了した神戸LIVEがあるからこそ、
新曲のこの歌に込められた苦痛とは・・・
一時でもキャッチーな楽曲へ仕立てレコーディングに走った本人の懺悔
受け狙い、数字のヒットに魂を売り渡しかけたことへの自虐を感じた。
それを続行したのならば
「剛さんのしたい音楽、やりたいステージ」を後押しするオーディエンスへの裏切り行為です。

ジャニーズ、アイドルという入り口の扉から入ったことはそんなに重圧なのだろうか?
世界のスーパーアイドル、ビートルズというテッペンから自ら扉を閉めて出ていったジョンはどうなんだろう。
ヨーコというミューズ、ドラッグという魔力、マネーという権力
何よりもビートルズという偉大なネームバリュー。
何もかもすべてが揃い手にしていたのにジョンはヨーコと二人で再生しようとしていた。
 
堂本剛にあるのはジャニーズという華やかなイメージを振りまく母船しかない。
この船内でのグループのネームバリュームもROCKの世界には通用しえない。
母船、マザーシップから離脱し浮遊する偵察艇の役目を堂本剛がしているのであれば、
ファンである私達が「世間の評価」を望むことは堂本剛への裏切りだと自覚しなくてはならないと思った。
何故ならば公平さん健さんのユニットapollo&bump schoolが示す、FUNKの熱い音楽提供は誇れるものです。
たとえマイナーな活動でも、世間での認知度が低いとしても、LIVE HOUSUEの狭い空間の中で
熱狂的なオーディエンスの期待を裏切らない音楽が行われている。

目標の設定をこの国で愛されるアーティストを目指すのだとしたらそれは結果です。
コツコツ積み上げた活動が生み出してくれる結果です。

フェスは確かに新人君たちが見いだされる絶好の場所です。
毎年注目のグループ、アーティストが話題になるが、1万人規模のLIVE 開催に至るのは希です。
脚光をすでに浴び、実績のある彼がこの中に放り込まれても
「なんでオマエらが出演するんだ」とういうブーイングが聞こえてくる気がする。
中には「へ〜〜ジャニーズもやるジャン」と音楽そのもので受入てくれる音楽好きもいるにしてもこの会場に駆けつける私たち「ジャニーズファン」を眺める従来のフェスのオーディエンスの目は厳しい。
その時にこそ、私達堂本剛ファンの音楽への敬愛が本物なのか、単なるアイドル堂本剛を求めて参加しているのかがで見る目も変わってくる気がする。
ENDLIのLIVEで場違いな「愛してる」「可愛いい」が叫ばれるのを見て「音楽を敬愛するアーティスト堂本剛」を楽しみにしている自分は がっかりする。
 
バンマスの十川氏のブログによる一種の啓蒙活動で「こうあって欲しい」という
ファンとしての心構え、LIVEマナーへの願望、剛一人でレコーディングに果敢な挑戦へのフォローアップが感じられるコメントがある。
他のアーティストのファンを褒めて理想のファン・・・とコメントすればブログをロムる身としては考えさせられる。
それらにバンマスとしての責任以上の配慮を感じた。
7年前の「ポカ〜〜ン」なお客さまは
代々木体育館で壮大なパフォーマンスを演じる一万人のアーティストにまで変貌していた。

私たちには見えない「会議室」での話し合いには熱意も理解もない
「ポカァ〜〜ン」なスタッフがいる事実と
「数字の呪縛」のフェンスの高さを伺わせているコメントが続いた。
責任逃れをするを輩は「発言無し、提案無し」という常套手段で目線を落とし、会議に出席する。
賛成もしなければ反対もしない。結果が出てから、「最初からそうなると思ってた」と人ごとのように云う。
温度差の違う同僚と仕事を一緒にする空しさは企業の中でも痛切に思い知らされているので想像がつく。

今回のシングル発売に伴う悲痛な思いはRADIO を通して吐露されていた。


音楽を捨てることは「命」を捨てるに等しい・・・・
多くの「普通の人」にならざるえない音楽好きに(レコード会社の方針に合わせて楽曲を発表するミュージシャン)に向けても
やり続けられる

我が儘を通す力

を大事にして通して欲しい。

今回はLIVE音源のCD化を選び、私達オーディエンス側に立ったことで救われた。
責任は自分ひとりで背負うとまで言い切り、通した我が儘とは
アーティストとして折れてはいけない自己表現です。

ZeppNagoya ツアー最終日

6月25日名古屋の臨場感は新曲のCDとなり作品で残される。

SUNDAY MORNINGはその意味でも重要なシングルになる。

 
FUNK の詩人よ
When the music’s over? 
言葉を伝えるのは楽しい音
スィートな声質に、いつの間にか
高音裏声が混じり
 
変わって行くんだね。
声も伝えたいメッセージも。


 
「ROCKの詩人」と呼ばれた人がいる。
自分の詩を聴いてもらいたくて彼は「音楽」を利用した。
 音楽・・・ROCKに求められる過激な破壊のパフォーマンスに疲れ
音楽を捨てた。
詩人として再生をかけパリに渡るが
ドラッグに痛めつけられた体は再生を許しはしなかった。
27歳でパリのホテルの浴槽で THE END
彼の詩は皮肉にも音楽で残った。

 
音楽が終わったら

 
When the music's over turn out the lights
For the music is your special friend
Dance on fire as it intends
Music is your only friend
Until the end

ドアーズ by Jim Morrison
 
音楽が終わったら
灯を消そう
何故なら
音楽はきみにとって特別な存在だから
まるで
炎の上を舞うかの様な
その音楽は
きみにとってのたったひとりの友達

それが鳴り響いている限りは
 
 「まぼろしの世界」収録より
 
 51ZX036YSJL._SS500_.jpg

神/新しい創造物―ジム・モリソン詩集 (1985年)

  • 作者: ジム・モリソン
  • 出版社/メーカー: 一風堂
  • 発売日: 1985/01

パソコンをカチャカチャ打つだけの人?


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(1) 
共通テーマ:音楽

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。