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風に吠える [堂本剛]

大樹雲枯葉.jpg  

ODE TO THE WEST WIND
( Percy Bysshe Shelley)




If I were a dead leaf thou mightest bear ;
If I were a swift cloud to fly with thee ;
A wave to pant beneath thy power, and share

The impulse of thy strength, only less free
Than thou, O uncontrollable ! lf even
I were as in my boyhood, and could be 

The comrade of thy wanderings over Heaven,
As then, when to outstrip thy skiey speed
Scarce seemed a vision ; I would ne'er have striven

As thus with thee in prayer in my sore need.
Oh, lift me as a wave, a leaf, a cloud !
I fall upon the thorns of life ! I bleed !

A heavy weight of hours has chained and bowed
One too like thee : tameless, and swift, and proud.




四章

もし私がおまえに運ばれる枯葉であったならば
もしおまえとともに天翔(あまか)ける雲であったならば
あるいはもし、おまえほどに自由でなくても

おまえの力の下に喘ぐ波として、その衝動を
ともにし得たならば、おお、不覇なるものよ!
せめて子どもの頃のように、空行くおまえの

友となり、天翔(あまか)けるおまえの速さの上を行くことも
夢ではないと思えた時期の私であったならば
今このように切実な思いに駆られて

こうした祈りをおまえに投げかけなかったであろう。
おお私を波や葉や雲のように持ち上げてくれ!
私は人生の茨の上に倒れる! 血が流れる!

時間の重圧が鎖につなぎ、ひれ伏させる—
おまえに似て飼いならされず、機敏で、誇り高き者を。
[ひらめき]岐阜女子大HP



大樹雲枯葉木立.jpg

「西風に寄せる歌」の4番目
目には見えぬ西風
その風を姿では雲が教えてくれる
その雲を思い出すことは無い
あまりに自在なこの物体は
記憶には残らない
ぼやけた「雲」のカタチ

それは一年に6日ほど参加するLIVEでの二人と同じ

生顔が思い出せない
時間の経過が記憶を薄れるさせる
大型スクリーンの中の映像は
TVと変らない
むしろプラズマの方が優位だ
双眼鏡の中で切り取られた記憶も同じ
リアルな息が見えない
LIVEという場の中で捉えた
生の表情は
克明に焼き付くというのに・・・・
度重なるテッペン席、天空席しか
用意されてない自分には
流れる雲のごとく

実像が伴わない

それはライティングのアート
華麗な背景セット
仕掛けの移動ステージ
群舞ダンス
その記憶が納まり
肝心のふたりが置き去り
最悪なのは音楽にまで見捨てられる

もしなれるのなら
木の葉や雲となり
自由な風に、乗りたいものです。

自分のmemoに本人たちの形容が無いのは
そのためなのかな。
それを承知で
突っ走る

小さな煌めく記憶を探すため



風に向かって走る





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