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はっぴーパパなインタビュー [平城宮跡LIVE]

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はっぴーママ 関西けいはんな版 7・8号記事より
堂本剛

ども時代~29歳の素顔

ボクのルーツ~Iと愛がある場所~

インタビュー

子ども時代のこと

幼稚園時代で思い出すこととは?

「西大寺幼稚園は礼儀作法の教育がきちんとされていているところで、『挨拶がきちんとできて礼儀正しいな』と言われていましたが、それが当たり前だと思っていました。

人の家に上がる時には靴を揃えたりとかも。『子どもだからもっと自由に走ったり騒いだりしたらええのに』ともよく言われました。でも、そういう教育をして頂いたおかげで、社会に出ても礼儀作法などに気付ける自分でいられることを心から感謝しています。」

 

幼稚園時代の担任教諭の話では、何でも1番になれるのに2番が好きだったとか。

 

「僕の仲のいい友達が1番が好きだったというのもありますけど、先頭に立つ人間にはそれをバックアップする人間が必要で、僕はそのバックアップがしたかったんです。

今でもそうですが、自分自身は前に出て何かをするのは基本的には好きではなく、もし、僕がもう1人いるなら、そのもう1人の僕をプロデュースしてバックアップする方がほんとは向いているなと思ったりもします。体は1つなんで自分がやるしかないんですけど、気持ちとしては今でもやっぱり二番手が好きですね。」

 

子どもの頃じゃどんなお子さんでしたか?

 

「小学生の頃、春になると家の前でソメイヨシノが咲くんですが、その花びらが落ちて雨に濡れて、泥だらけになっていたりすることを切ないと感じていたり、『何でみんな桜が散ったらこの桜のことを相手にせえへんねんやろかわそうに』とか、そんなことを思いながら登下校している子でしたね。

小4までは特に外で遊ぶ方ではなく、それ以後もごく普通の生活でした。」

 

子供の頃の夢は?

「漠然とスターになりたい」と文集に書いていた記憶があります。

世の中を自分の願う方向へ動かしていける人生があればいいなとか思ってていました。

自分の人生や全身の愛を使って、一人でも多くの人に光をさす水を与えることができればいいなとかそんな感覚を持っていた気がします。」

アーティストとして
堂本さんにとって奈良はどんな存在ですか?

「素直に好きな場所ですね。
できるならば今でも奈良と東京で仕事をしたいくらいです。

昔の人々が残したメッセージや愛情などが優しく残っている土地です。

東京で仕事をしていても僕の中に思いがあります。

僕が僕を取り戻す場所、作り上げられていくイメージだらけの自分をリセットする場所です。

自分らしく居続けることを人生の中であきらめたくないので、よく奈良に帰るようにしています。」

 

ENDLICHERI☆ENDLICHERIの音楽観とそして奈良の接点とは?

 

「ENDLICHERI☆ENDLICHERIとは僕の関わる全てが時代へ向けて全身全霊で愛を考えるプロジェクトです。

今の世の中で、愛を信じることは難しいけど、僕の創ったエンドリケリーの世界では、自分らしくあることを否定しない。ライブでは皆さん泣きたかったら泣く、騒ぎたかったら騒ぐ、自分の中にある嘘を捨てて真実で生きようと、一度きりしかない命の意味を考えるきっかけにして頂けたら嬉しいです。」

 

自分らしくあろうというメッセージですね。

 

「そういう気持ちをもたらすのが奈良という土地です。

単純に音楽が好きでやっているわけではないです。

18歳の時に生と死を考えた時期があって、その時に自分の世界観を大事にできる音楽と出会い、もう一度生きてみようと思った。

人が生きていくことの大変、愛について音楽、ARTを通して世の中に伝えたい。

これから僕らがどんな風にして時代を生きていくか、そのヒントや力が奈良にはあってそれを感じながら音楽をやっています。」

仕事などで奈良に帰った時に行く、好きな場所は?

「奈良公園に行ったり、しんどくなった時は平城宮跡に帰って歩いたりしています。

ここの空が好きなんで、ぼーっと寝転んでみたり。

お寺、神社巡ったり西大寺幼稚園出身なので西大寺さんにはよく行きますね。

愛染観音様にお参りをして秋篠寺に行ったりもします。

このあたりがナチュラルな環境です。

奈良に住んでる人で「奈良の何がいいの?」と言うひともいるけど僕は10年以上も奈良を離れていても、今の現状やさまざまなものを教えてくれるのは奈良だなと思います。

奈良を離れた時はそこまで思っていなかったけど。さまざまな情報がかんたんに入ってくる時代選択肢が多い中で、愛も乱れてきている。そんなハイテクに進みすぎたているエリアよりかは昔都があった場所であり古き良き時代のメッセージを、魂をきちんとやさしく残ししているエリアに足を運ぶということが、僕にとってはすごく大切なんです。

だから奈良が好きなんです。」

 

堂本さんを育ててこられたお母様について

「母は「愛は人から要求するものじゃなく、与えるものなんだ」と言います。僕にとっては尊敬できる女性であり母親で、生きていくことの大切さを含めて、いろいろ教えてもらってます。

「早く孫が見たい」なんていう話も出て。「あなたが結婚して子供ができた時にお母さんはおるかわからへん」みたいな話をよくしはるんですよ。何が残せるかわからへんからと言って、ミニカーを月に3台ずつくらい買って家にストックしてはります。男の子が孫とめちゃ決めつけてられているんですけど(笑う)。」

エンドリケリーで「ソメイヨシノ」という曲にも母のエピソードがありますね。

 

「母と桜を一緒にみた時に「この桜、あんたとい何回見れるんかな」と言わはったんでけど、その背中越しに桜が散っていくシーンを目に焼き付けて書きました。歌詞の“叫び声がまた墜落した”という表現は、桜の叫び声なんです。母の背中越しに散る桜っていうのが、年齢を重ねた母と重なるところがあって。叫びにならない声もたくさんもっているだろうなという思いを。この歌の中で表現しました。」

 

現在から未来へ

もし、今後結婚して父親になった時、どんな子育てをしたいと思いますか?

「もしかしたらですが、この仕事をきっぱり辞めて、子育てに専念するかもしれしれない。そばにいようと思ったりしていますね。

まだ現実がどういうものになるのかも、そんな余裕があるのかもかわかららないのですが、やっぱり。少しでもそばにいてあげられるような環境づくりができたらいいなと。

ホントは奈良で育てたいなと少し思ってみたりしています。

そしてまた西大寺幼稚園さんにお世話になれたらすごく安心です。」

 

文:加藤なほ

  
ハウス・ハズバンドを想定していたか・・・・・

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