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上野に遭いに行きました。 [堂本剛]

BUTSUZO.jpg

「阿修羅像に似ている」と言われた

阿弥陀如来.jpg作者:杉田浩庸さん
そんな話しがRADIOで本人が話す前に
すでに仏像の中に
剛さんに共通点を昨年は見つけていた。
若い仏師の彫る仏像は新鮮な魅力に溢れていた
芸大の4回生の学生さんだったからすでにお隣の學舎にはいないのかな?

ということで似ているかを確かめに6月7日には終了の阿修羅展に遭いに行く
「正直しんどい」のロケで紹介されたのはガラスのケースの中の姿
並んでいたあの八部衆の一体を除き露出展示で背面まで見る事が出来る

展示のセンス、東京国立博物館平成館とういこの国を代表する建物
上野山の頂上というロケーションは周りに建物が一切見えない
空が、木立が悠々と広がり、阿修羅像にたどり着くまでの待ち時間も
空の雲の動きを見ていると飽きない

この阿修羅立像の造立に財力と権力を総出で挑んだ光明皇后
その目的は母親の供養。
第2章の優れた展示物は
その母の藤原氏一門の女主、橘夫人三千代が大切にしていた三体の阿弥陀三尊像、収める厨子
(小学生の教科書で習いましたね〜〜あれは玉虫厨子で別ものです)
龍4頭で飾られた金鼓(こんく)、それを打つ為の道具をもつ婆羅門像
(音声ガイドでは鐘の音も聞ける!)
それら興福寺、法隆寺の秘蔵の宝の部屋を過ぎ

次の部屋には、左側に八部衆の内の6体とガラスに収まる頭部だけの五部浄、
右側に釈迦の十大弟子像の内の6体が待つ部屋を通り抜けるのだ
圧巻の花道を進みむ更に細い通路を抜けきった部屋に阿修羅立像は待っている

丹念に八部衆と十大弟子像を見て回ることで
阿修羅が何故人々の心を掴みとるのかが勉強させられる仕組みのように思えた


八部衆はもとは印度の神話の神々です
鳥、蛇などと人の体を持つ空想上の異形の姿をしてます
釈迦に帰依し釈迦の教えを守る守護神八部衆に選ばれた集団です。

お釈迦さまの十大弟子像は人間、
対面して並ぶ6躯の高僧は人間も修行をし得を積むとことで
内面が姿に現れるのを具象化した立像が並びます。
空想上の異形の八部衆と僧侶とのその対比が面白い。

八部衆が少年のような幼い膨らみのある頰を持ち、
十大弟子像の高層は若年の僧でもそぎ落とされた頰を持ち現実的です。
また、人として尊敬に価するおのおの違う魅力を持つ面立ちです。

説法が巧みな僧
論議に長けるてる僧
奢らず努力を続ける層
学徳にすぐれ知恵ある僧
神通力で人助けをする僧
捕われず偏りがない「空」を理解する僧

人としてそうありたいと願うお手本のような出家者の像
現実には今の時代に中々遭遇しない大人達です。

対する八部衆はまさにジャニーズのユニット。
おのおのヒンズーの神として帝釈天宮の音楽神、雨を降らす魔力、魔障性を喰い尽くす力、
など特殊能力を持つ身でありながら全身を鎧で固めた守護神として戦さに挑む姿をしていた。

そして阿修羅・・・・

阿修羅が鎧を脱いだ半裸身で3つの顔、6本の腕を持つ少年像なのか、
謎ときの鍵は彼の受け持ちが「戦い」であり、
帝釈天に挑んでも勝つ事がかなわない残酷な「鬼神」という立ち位置にある。
釈迦の教えに耳を傾けてしまい感化され、
過去の悪行への懺悔から抜けられない姿。
正面の姿は手を合わせ空を見つめる瞳には、
目の下に涙を溜め、今にもこぼれ落ちるような切羽な憂い。
眉間に皺を寄せ苦しみとも見て取るも、頰は少年の愛らしい丸みがある。
口の上下に描かれる入れ墨模様でぽってりした、
肉感を感じさせているが、唇は薄く、アヒル口!
胸高に手を合わせることで肩がやや持ち上がるが
やはりなで肩なのだ。
首は太く短い。
華奢な胴と腕はまだ労働の過酷さを知らない子供のように細い。

この正面のお顔は2004年当時[si:]の頃の剛さんを連想させた。
あの当時は「海へのこだわり」の頃の剛さんだった。
当時の不安、心細さ、周りの無理解にあがき
「煩悩」(強要される姿)と「理想」(有るべき姿)に気が付き始めた頃の剛さんを
久しぶりに見た気がする。
自分的には「煩悩」は売れる音楽「理想」は伝えたい音楽とも解釈してた。


問題は3顔の内の右と左のお顔
余り知られていないがこのお顔は
過去、未来であり、現在といえども
揺れる心の振幅が表されいるように思えた
レプリカ左.jpg かなり精巧なレプリカです。
特に正面左の唇を噛み
反抗的に目つり上げている表情
このお顔に背筋が凍った
唇から血がにじむほど噛みしめる
修羅場をくぐり抜けたのだろう
 
 阿修羅右.jpg
それに比べ正面右側のお顔
空(うつ)ろな気の抜けた
心ここにあらずの表情に驚かされた
目力も無く焦点が合わない彷徨う空洞な表情 

誰もが持つ多面性と可能性が同居する様を
この阿修羅立像が現しているように思えた。

細い腕、上段の第2手の掌は月と太陽を捧げて持ちあげ
中段の第3手は左で宝弓と右で宝矢の武器を持ってたとされてる
正面の第1手の合掌は釈迦への帰依に通じる
暴れ軍神の阿修羅が釈迦の教えを守る身へと進化する過程
悪鬼をもつて邪悪を制する為に八部衆の選ばれた鬼神なのです。

阿修羅立像を語るときに言い尽くされているのは
見た人の心情が投影されるということ
100人が100人同じ視点を持たない
おのおのの個人の感想はその人の置かれている現状が
出てしまうのでうっかり漏らすと
自分の心を覗かれてしまうというこだ

そうなると主観と偏見の自分の感想はこうなる。

この時代のアイドル(偶像)は仏像です。
仏像はアイドル(偶像)です。
人気が出ればおのずと拝観者が後を絶たず
噂が人を集め、ましてや霊験あらたかで神通力がある。
仏のありがたい教えを布教する結果となる。
光明皇后の凄腕プロデュースで少年に変化した阿修羅くんは
この国でもっとも愛される仏像になりました。
生で見ることで私たちは感動し

そして救われる


57年ぶり東京で公開されたこのトップアイドルに
80数万人が押し寄せていた
何十重にも出来た人垣の渦を見て
LIVE HOUSでの244ENDLI-x,
美我空TOURの剛紫の姿が重なってはいたが
そこには音楽は無かった。

音楽で、語ろう。ね!


上野で遭ったのは4年前の闘い真っただ中で修羅場の堂本剛さんだったのだ。
直感で感じた。

すでに現在の「剛紫」は「阿修羅の巷」は越えているんだと思う。
迷いも悔いもない足取りで次へ開かれたステップ歩き始めている。
美徳と自我を探しに時空を15歳前に飛ばし清冽な少年の心で歩いている。

  阿修羅展.jpg

 今回の「阿修羅展」の公式キャンペーンソングは
 ALFEEの高見沢俊彦氏のアルバム曲の中から選ばれた
「愛の偶像」(ラブ・アイドル)
作詞はみうらじゅん氏で偶然にして面白い
 


阿修羅展ポスター.jpg
興福寺さんの大盤振る舞い「国宝14体」が東京に来たのです。
興福寺以前の阿修羅像
妙法院阿修羅.jpg
京都妙法寺(三十三間堂)
本来の憤怒の相、逆毛立ち燃える髪

法隆寺阿修羅.jpg
奈良 法隆寺
座像合掌無し
 
阿修羅2.jpg
奈良 興福寺
阿修羅立像に鼻の穴と耳の風当(耳弦)は無いのです。
人では無いのです。
ヒンズーの鬼神に清冽な少年性を持たせ進化した阿修羅像を
光明皇后は選んだのです。
清冽:水などが清らかに澄んで冷たいこと。また、そのさま。

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