歩き出した街、日比谷 [因縁な話]
ぼくはロックで大人になった〜忌野清志郎が描いた500枚の絵画〜
週を通して見ないTVをつけた。
偶然始まった番組だった。呼ばれんだね。
この国でまともな音楽番組を創れるのはNHKそれもBShi放送だけになっていくんだ。
清志郎の描く絵画500点をキーワードに恩師小林晴雄先生、親友三浦友和氏、戦友仲井戸麗市氏、オーディエンス代表で太田和彦氏など12名がインタビューに応えてた。
しかも放送ジャンルは「ドキュメンタリー/教養>カルチャー/伝統文化」清志郎には無関係な視聴者の目にもとまるし幅が広がる。
ファンにとってはおなじみのエピソードにインタビューで新たな真実が告げられた。
・チャボへのLOVEコールは電話でストーンズの音をBGMに「一緒にやろう」のコメントは胸に来るチャボ。自身も「やばい手使ってさ」としんみりさせる。
・そのRC解散のいきさつに「チャボに失恋した」と周りには言ってたのが今回初めてチャボ本人の知る事となり、絶句していた。伝えたインタビュアーが謝罪するほでチャボの落ち込ちこませていた。ポツリ「実は自分も同じかな」
・小林先生の教えで「男はやりたい事が見つかったら結婚するな」を貫く。永い間通い婚の彼女との生活の中に赤ちゃんが生まれる展開に「ROCK」が出来なくなるとタッペイ君出産までに必死に音楽を創りの為スタジオで録音を続けてた。
幸せになると「ROCK」が出来なくなる・・・本気で信じていたんだね。
三浦氏の証言
中学からの同級生は一時バンド仲間であり先に芸能界で成功した親友でもある。
彼の口からは不遇時代、福生の米軍ハウス、安アパート引きこもり仕事もなく燻っていた頃を
『荒(すさ)んでいた」と語ってくれた。
売れなくて(支持されない苦痛)最低の生活をする姿までも見守る親友の 言葉が優しい。
・小林先生は思って通りの先生!饒舌ではない。武道館でお見かけしたまんま、空気が自然。
先生の目には「おとなしい目立たない子」でしかない栗原清志にも優等生の他の生徒にも同じ愛情を人生の先輩として注いでいたんだと思う。
その先生の歌が多くの劣等生を元気にしてくれる「音楽」となり自分に繋がるんだ。
僕の好きな先生、僕の好きなおじさん。
「息子がギターのプロになるといいはり大学も就職もしようとはしない。」どう説得して良いか解らない母は羽仁節子、羽仁進氏の読売新聞「人生相談」のコラムへ投稿し掲載されてたのもOAされた。。
母親の溢れる想いをこんなカタチで見るとは思わなかった。
美術学校か音楽のプロ、その選択は音楽を選ぶ。
そして一番感銘したのと・・と数年来の疑問が解けたコメントを見つけた。
ファン代表として太田和彦氏の明解な「何故、清志郎に傾斜したか」の言葉全てが自分が思う「何故清志郎と剛さんが同じ匂いなのか」の代弁者でした。
真っ直ぐに音楽で叩きつける清志郎のメッセージに真っ向から受け、LIVEで感じる。
その嘘の無い歌詞の全てが太田氏の救いだったと述べられていた。
勤務先の企業内で思う通りに自分の作品、主張が通らないその絶望の日々にLIVEで出会う嘘のない音楽。
清志郎サイドもその一ファンの思いを受け取りLIVEノートに記述がある。
うわべしか見ない女の子のキャーキャーには
「オレの言いたい事なんか解っちゃいない」客席にウンザリ。
「今日楽屋に菊正宗二級酒を届けに来たあのひとりの青年の為に歌おう」
そんなエピソード満載の放送だった。
美術大学の道を諦め音楽のプロを目指しファンに愛されたし音楽を通じてファンを愛したROCKのGodを数々の見覚えのある絵画を通じて構成されてた。
ROCKで大人になった。
そのタイトル言い当ててます。
家族特に実母の影響で戦争反対、原発反対のメッセージソングが炸裂するROCK。
自分も清志郎が「○○さん」を奥様にし、タッペイくんモモちゃんに目を細めるパパぶりを通して清志郎の変化を見ていた。
日比谷の野外音楽堂で聞いた「最近息子が口聞いてくんない」反抗期の息子に悩まされる姿を見てそんな台詞が聞ける時代がくるとは思わなかった。
堂本剛さん
Happyな恋愛では「音楽」は創れない。
悪女と恋をしよう、そうしたらいい音楽が降りてくる・・・これは師匠の覧丸からの伝授
本気で信じているのかな。
そんな事。ある訳ないじゃんねぇ。愛は恋の結果だよ。
ROCK の殿堂日比谷野音は清志郎の聖地だったのか?
此の地日比谷をPVのロケ地にしたのは偶然なのか、PVの中の少年は汚れ、倒れ薄暗い日比谷の街を彷徨っていた。
スタートラインに立ったのは日比谷だった。
東京で再生にかけた「街」を引さげたソロアルバム発売前にLIVEデビューを8年前の今日果たしてます。
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